手放す、ということ

「手放し」は、「いま、この瞬間」それに対し行なうものです。

「いま、この瞬間」を自身なりに解釈して、でっちあげる話に対し降伏する事ではないのです。

例を挙げると、足に障害をかかえていて、歩行ができないと想定しましょう。

この身体の状況は「ありのまま」です。

この状況、それに対し、思考はこんなふうな「物語」をつくり上げてはいないでしょうか?「これがわたしの生涯か?車椅子の世話になるなんて。人生というのはこんなにも不公平で残酷なのか。このわたしが一体何をしたというのか?」。

「現況」をありのままに受け入れて、「現況」と「思考がそれについてつくり上げる物語」とを混同しない事。

これを実践できますか?。

「どうしてわたしがこんな目にあうのか?」。もはやこの問いかけをしなくなったとき、「手放し」が起こります。

表面的には、もっとも受容しがたい、過酷な状況でさえ、 そのヴェールの下には、もっと深遠な意味での善が隠されています。あらゆる受難は、 その内部に慈愛の種
が託されているのです。

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